知らないことを知る勇気が、
僕にはなかっただけ。
「便利なのは分かっている。でも、なぜか触れない」——これは、AIを遠ざけていた僕が、道具ではなく相棒として向き合えるようになるまでの記録です。
ChatGPTやGeminiの話題を目にするたび、少しだけ息苦しくなる。「使えないと遅れる」と言われても、自分事にはならない。
僕もそうでした。AIが怖かったのではありません。自分の知らない世界へ踏み出す勇気がなかった。そして、AIを借りなくても自分の足で歩けると信じたかったのです。
そんな僕の見方を変えたのは、たった一つの問いでした。
便利だと知りながら、なぜ遠ざけるのか
新しい技術を頭では理解していても、心が追いつかないことがあります。職場で先を行く人を見ても、「自分にはまだ関係ない」と感じてしまう。これは怠けではなく、自分の領域を守ろうとする自然な反応です。
長く文章を書いてきた僕には、もう一つの抵抗がありました。AIのアシスト機能が、自分の聖域へ入ってくるように感じたのです。便利さを認めることが、積み重ねてきた技術を否定するようにも思えました。
自分の足があるのに、車へ乗る必要はあるのか
しばらく執筆から離れたあと、僕はWordPressでサイトを再開しました。自分でコントロールできる場所を選んだのは、自分の表現を大切にしたかったからです。
それでもAIを避け続ける中、ふと考えました。
歩くことが好きでも、遠くへ行く日は車へ乗っていい。車に乗ったからといって、歩く力が失われるわけではありません。AIを使うことも、それと同じなのではないか。そう考えたとき、僕の意地が少しだけほどけました。
AIは道具から相棒へ変わった。
複雑な命令で完璧に支配しようとせず、自分の経験や感情から対話を始める。その小さな変化が、重かった扉を開きました。
余計な指示を手放し、自分の一次情報へ戻る
AIへ大量の指示を詰め込めば、きれいな文章は出てきます。しかし、どこかで見たような言葉になりやすい。僕に必要だったのは、AIの技術を増やすことではなく、思考のノイズを減らすことでした。
自分が見たこと、感じたこと、うまく言えない違和感。それを隠さず差し出すと、AIとの対話は急に自分のものになります。
- 完璧にコントロールする
- 長く複雑な命令を書く
- 間違いを敵として排除する
- 平均的な正解を求める
- 対話しながら一緒に考える
- 自分の一次情報から始める
- 不完全さを確認しながら進む
- 自分だけの表現を探す
人間もAIも間違える
AIは、もっともらしい誤りを返すことがあります。だから人間による確認は欠かせません。ただし、人間もまた間違えます。大切なのは、どちらかを完璧だと思い込むことではなく、確認できる関係をつくることです。
一人で迷うより、一緒に失敗できる場所へ
「簡単」と言われていることが、自分には難しく感じられる。だから距離を置く。それは自然な防衛反応です。
新しい一歩では、分からないことや失敗を共有できる場所が助けになります。このサイトでは、AIに踏み出せなかった僕自身が、実際に触れ、失敗し、考えた過程をあるがままに残していきます。
AIへ記事を丸投げしたいわけではありません。探したいのは、AIという相棒と共に、自分だけの表現へ抜ける突破口です。